はじめに

「FIPは、うつる病気ですか?」

これは、診察室でもブログでも、とてもよく聞かれる質問です。

FIP(猫伝染性腹膜炎)という言葉を聞いたとき、
多くの飼い主さんは強い不安を感じます。

同居猫にうつってしまうのではないか

家の中が危険な状態なのではないか

もう一緒に暮らせないのではないか

そう思ってしまうのは、無理もありません。

でも、その不安の多くは、
「猫腸コロナウイルス」と「FIP」を同じものとして考えてしまうこと
から生まれています。

まずは、この2つをはっきり分けて考えてみましょう。

1.猫腸コロナウイルスは「珍しくない」

猫腸コロナウイルス(Feline coronavirus:FCoV)は、
実は とても多くの猫がすでに感染しているウイルス です。

これまでの調査では、

一般家庭で飼育されている猫:約25〜40%

多頭飼育環境・シェルター・繁殖施設:80〜90%以上

がFCoVに感染していると報告されています①②。

特に、

  • 多頭飼育の家庭
  • 保護猫の環境
  • 子猫が多い場所

では、FCoVは決して珍しい存在ではありません。

多くの場合、猫腸コロナウイルスに感染しても、

  • まったく症状が出ない
  • 一時的な軟便や軽い下痢がみられる

といった程度で、
そのまま何事もなく一生を終える猫も多い とされています③。

つまり、

猫腸コロナウイルス=すぐに重い病気になる

というわけではありません。

一方で、FCoVは 糞便中に排出され、非常に感染力が強い ウイルスです。
同居猫が1匹でもFCoVを持っていれば、
日常生活の中で感染が成立することは珍しくありません①。

現実的に、
猫同士の接触だけでなく、人の衣類や手指を介した感染まで完全に防ぐには、
家庭内ゾーニングや防護具の常時使用を一生続ける必要があります。

そのため、FCoV感染そのものを完全に防ぐことは、ほぼ不可能 と考えられています。

2.FIPは「感染」ではなく「変異」

ここが、もっとも重要なポイントです。

FIPは、
外からFIPウイルスがうつって起こる病気ではありません。

猫腸コロナウイルスが、
その猫の体の中で突然変異し、
免疫反応が制御できなくなったときに発症します④。

流れとしては、

猫腸コロナウイルス
→ 体内で変異
→ 免疫の異常反応
→ FIPの発症

という形です。

つまりFIPは、
「もらってくる病気」ではなく、
その猫の体の中で起こる“結果” なのです。

この点が、もっとも誤解されやすいところでもあります。

3.なぜ「FIPはうつらない」と言われるのか

「FIPはうつらない」と言われる理由は、
この 体内変異 という仕組みにあります。

FIPを引き起こす変異ウイルスは、
基本的に 発症した猫の体内で完結 します。

そのため、FIPを発症した猫が直接同居猫にFIPをうつす

ということは、起こりにくい と考えられています④⑤。

ただし、

「うつらない=完全に無関係」

ではありません。

同じ環境で暮らす猫たちは、

  • 猫腸コロナウイルスへの暴露機会
  • ストレス
  • 生活環境

といった 発症リスク因子を共有 しています。

そのため、

  • 同居猫が必ずFIPになるわけではない
  • しかし、まったく関係がないとも言い切れない

この 中間の理解 がとても重要です。

なお、臨床現場では
兄弟猫でFIPが発生するケースが比較的多い ことが経験的に知られています。
遺伝的背景や免疫応答の類似性が関与している可能性が指摘されていますが、
現時点では完全に解明されていません⑥。

兄弟猫でFIPが発生した場合、
健康に見える猫であっても、

  • 定期的な健康チェック
  • 過度なストレスを避ける生活管理

が推奨されます。

4.同居猫・多頭飼育はどう考える?

FIPと診断された猫がいると、
「隔離したほうがいいですか?」
と聞かれることがあります。

結論から言うと、
過剰な隔離は必ずしも必要ではありません。

それよりも重要なのは、

  • トイレを清潔に保つ
  • 過密な飼育環境を避ける
  • それぞれが安心して休める場所を確保する
  • 不要なストレスを減らす

といった、日常的な環境管理です。

必要以上の消毒や隔離は、
かえって猫のストレスを増やし、
発症リスクを高めてしまうこともあります。

消毒との向き合い方については、
次の記事で詳しく解説します。

👉 FIPウイルスの消毒方法について(次回記事)

5.正しく知ることが、いちばんの予防

猫腸コロナウイルスとFIPは、
名前が似ていますが、同じものではありません。

猫腸コロナウイルス:多くの猫が感染している一般的なウイルス

FIP:FCoV感染猫のうち ごく一部(約5〜10%未満) で起こる病態④⑦

猫全体で見ると、
FIPの発生率は決して高い病気ではない ことも報告されています⑦。

この違いを知ることで、

必要以上に怖がらない

しかし油断もしない

そんな、落ち着いた向き合い方ができるようになります。

まとめ:不安の正体を、正しく分ける

FIPという言葉は、
どうしても強い不安を呼び起こします。

でも、その不安の多くは、
「正体がはっきりしないこと」から生まれます。

猫腸コロナウイルスとFIPを
正しく分けて理解することは、

猫を守ること

飼い主さん自身を守ること

その両方につながります。

もし迷ったり、不安になったときは、
ひとりで抱え込まず、
かかりつけの動物病院に相談してください。

正しい情報と対話が、
いちばんの支えになります。

📚 参考文献

1.Pedersen NC.
An overview of feline enteric coronavirus and infectious peritonitis.
Vet Microbiol. 2009.

2.Addie DD, Jarrett O.
Feline coronavirus infections.
In: Greene CE (ed). Infectious Diseases of the Dog and Cat. 4th ed.

3.Addie DD et al.
Feline coronavirus infection.
ABCD guidelines, Journal of Feline Medicine and Surgery. 2009.

4.Pedersen NC et al.
Pathogenesis of feline infectious peritonitis.
Journal of Feline Medicine and Surgery. 2014.

5.Felten S, Hartmann K.
Diagnosis of feline infectious peritonitis.
Veterinary Clinics of North America: Small Animal Practice. 2019.

6.Brown MA et al.
Genetic resistance to feline infectious peritonitis.
Journal of Veterinary Internal Medicine. 2009.

7.Addie DD et al.
Feline infectious peritonitis: ABCD guidelines on prevention and management.
Journal of Feline Medicine and Surgery. 2020.